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zoom RSS 学歴無用論は間違い(その2)

<<   作成日時 : 2012/07/20 21:23   >>

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世の中が学歴主義なのは、学歴、つまりは大学に偏差値順の序列が出来ていて、卒業した大学名を見ればその学生の偏差値水準が判明してしまうことに理由があります。

中には例外的存在の学生もいるにはいますが、偏差値水準の高い学生の方が、概ね実務処理能力も高いと判断して良いと思います。

それは、大学入試自体が人生上の一つのビッグ・プロジェクトだと解釈できるからです。たとえば、大学入試では、目標達成のためのスケジュール設定、あるいは入試科目の選定から始まって、効率的な学習のできる参考書選び、予備校選択、科目間の学習時間配分、そして実際の学習遂行能力と強靭な意思力、さらには自己規律、および記憶力などが必要とされます。

それらは、いわばその人個人の総合的戦略性を結集してプロジェクトを遂行する能力が問われていることと同義ですから、入試プロジェクトに取り組んで相応の成果を収めることができるということは、すなわち企業における事業プロジェクトについても同様に対応する能力が具備されていると評価できます。

弱冠18歳で全国共通のプロジェクトが課されて戦略性と遂行能力が総合的に試され、その結果が大学名に表象されて履歴書内で明示されるわけですから、企業はその卒業大学名に当然注目します。そして、その卒業大学名は、多少の例外はあるとしても、その人の実務処理能力を或る程度的確に表象していることは否めません。

むしろ大学入試には、どこかの同好会やサークルの部長や副部長を担当したという薄っぺらなリーダー的素質表明以上の、総合的実務処理能力が必要であることは間違いないのですから、学歴無用論という考え方は、以上の観点から判断しても、やはり間違いと言えましょう。

そして、そのプロジェクト遂行能力は、おそらくはその人個人の能力範囲にとどまらず、その人がリーダーとして部下や同僚を率いる場合にも応用でき、役立つものと思います。

なお、日本の大学は、しばしば指摘されています様に、入試が難しく、卒業は比較的簡単です。これは改善する必要がある様に思います。大学時代においてもまた、知識や事例の或る程度の詰め込みは、それ以後の社会人としての判断データの基盤として必要ですし、実際、社会に出てから知識や事例を詰め込むのは時間的に言っても、体力的面からも困難です。

ところで、すでに以前書いたかも知れませんが、東大を卒業した友人の話では、東大というところは長くいるほど頭脳が劣化するところだそうで、大学院の学生よりは、本郷の専門課程の学生の方が学力が上で、その本郷の学生よりは駒場の教養課程の学生の方が出来が良く、一番出来るのは駒場の1年生、いやその前の駿台の予備校生だという冗談があるそうです。従って、東大に一番長くいる教授の頭脳が最も劣化している、というのがオチだとか。

日本の大学には、自由な時間が多分に存在し、その使い方さえ間違わなければ、活用メリット多大ですが、逆に或る程度の強制なしには学生は勉強しないということもまた、古今東西共通した事実だということを付言しておく必要があるでしょう。学生やビジネスマンに必要なのは、いずれにしてもプロジェクト性、計画性とその遂行能力であるということです。

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